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11/16(火) 15:01配信
古葉竹識さん
12日に85歳で亡くなった古葉竹識さん。広島カープを初優勝に導いた名将は、人情と冷徹さを兼ね備えた人だった。 【写真】選挙にも度々出馬…小泉首相と並ぶ古葉竹識さん 筆者が広島カープ担当だった1993年、抑え投手だった津田恒美さんが亡くなった。「せめて息子は成人するまでは」と奨学金創設を呼び掛けたのが古葉さんだった。 熊本の進学校である済々黌高に進んでいた古葉さんも父を亡くした。条件がよかった専大に進んだものの、家計を案じて1年で中退。社会人に進んだ経験があるからだった。 そんな情の古葉さんも勝負ごとになると人が変わった。1975年、広島が初優勝した時に外野手としてウイニングボールをキャッチした水谷実雄さんは言った。「わしは古葉さんに嫌われていたんだ」。投手として入団したが芽が出ずに外野手へ。苦労してレギュラーをとったと思うと、オフには毎年のように強打が売りの新外国人選手が加入し、その座を脅かされた。82年オフには阪急にトレードされた。 水谷さんは1989年に広島のコーチになると壁にぶちあたった。意を決して尋ねたのは当時、中日スポーツの評論家だった古葉さん。「トレードは本当にショックだった。でも古葉さんに会ってわだかまりはなくなったよ。嫌われていたわけではなかったんだ」と水谷さんは話した。 古葉さんは筆者に言った。「彼は選手が思うようにならない、という悩みを抱えていてね。たいしたことは言っていないよ。ただ、自分の現役時代を思い出してみろ、とね。嫌われるのもコーチの仕事だろうということを話しただけだよ」 猛練習で成功する広島の伝統を築いたのは古葉さん。自身が左打者だったらもっとヒットを打てたという発想から高橋慶彦をスイッチヒッターに仕立て、それに山崎隆造、正田耕三が続いた。 さて、水谷さんはその後遠征先でも朝の早出練習を課した。江藤智、前田智徳、緒方孝市らが育ったのはその後である。 ▼古葉竹識(こば・たけし)1936年4月22日生まれ。熊本市出身。済々黌高、専修大(中退)、日鉄二瀬を経て58年に広島入団。70年に南海ホークスへ移籍し71年引退。現役時代は右投げ右打ちの内野手で盗塁王2回。75年シーズン途中に監督となり、球団創立26年目でセ・リーグ初優勝。79、80、84年に日本一となり85年に勇退。87年~89年横浜大洋監督。99年に野球殿堂入り。2008年から東京国際大監督。
中日スポーツ
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