街のお坊さん 生と死を語ります フォロー
社会のさまざまな課題に向き合い活動しているお坊さんに問いかけ、語り合うシリーズの4回目。千葉県船橋市の上行寺(じょうぎょうじ)船橋別院副住職の遠山玄秀(げんしゅう)さんは、流産や死産で子どもを亡くした家族のための「語り合いの場」を開いています。宗教者としての役割を問い続けながら、自ら考え抜いた言葉で語りかけます。
――死産・流産で子どもを亡くした家族のための語り合いの場「ポコズカフェ」を開いています。どういう活動で、なぜ関わるようになったのでしょう?
◆「ポコズママの会」という、流産や死産で小さな命を亡くされた家族を支える活動をしている団体があります。会が主催して、お互いにつらい体験を分かち合うことでグリーフ(悲嘆)をやわらげる場がカフェです。いまはお寺で2カ月に1回ほど開いています。参加者のほとんどが女性で、なかなか周囲に理解してもらえないつらさや悲しみを安心して語れる場です。
私は、地域の医療者や福祉関係者らとグリーフサポートなど生と死について学ぶ活動をしたり、末期がんや筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんのお話をうかがう傾聴ボランティアをしたりしています。そんな活動を耳にした会の代表が活動への協力を依頼しにいらしたのが最初でした。
趣旨に賛同して「大切なお子様を亡くされたご家族へ」という小冊子を作る協賛をしました。その冊子ができあがる1週間前、私自身の子どもが妊娠6カ月で死産してしまいました。男の子でした。私も当事者である「天使パパ」になってしまったのです。
――おつらかったでしょう。生まれてから亡くなる子どもとはまた違う、死産・流産ならではのつらさというものがあるのでしょうか?
◆子どもを亡くした点は一緒です。ただ、「形」が残っているかいないかの違いは大きい。新生児以降なら火葬してお骨も残るし、戸籍にも載ります。でも、流産・死産だと戸籍に載りません。週数によってはお骨もありません。心のよりどころにするものがないんです。あとは周りの人たちから理解されないのは大きな違いです。
新生児なら出産を祝福されることがほとんどでしょう。でも、流産・死産だと週数によっては妊娠したことさえ周りに言えないことがあります。逆に周りに妊娠のことを伝えていて、しばらくたってから「お子さん元気?」と聞かれてしまうことでつらい思いをすることもあります。
既に名前を決めて呼びかけていた場合もあります。誰にも言えなくて家の外に出るのがつらいから、カフェのために初めて外出したという参加者もいます。
――ご自身はどう受け止めたのですか?
◆適切な言葉かはわかりませんが、運命としか言えなかったです。人が必ず亡くなることに対しては不思議とは思いませんし、葬儀や傾聴活動などで実感もしています。もちろんつらかったですが、つらさ以上に妻を支えなければというマインドの方が強かったです。
死という事実は変えられません。そこから何を学び、意味付けするかということを、私は日ごろから人にお話ししている立場でもあります。
でも、妻はそうではありません。だからサポートしなければという思いでしたが、お坊さんという立場と夫という立場でのサポートは全然違いました。
――どんなサポートをしたのでしょう?
◆一緒に泣くとか、息子の話をするとか。妊娠中によく出かけた公園に、息子のひつぎを抱えて出かけるなどして、妊娠中の思い出を上書きするような感じでした。あとは祭壇、メモリアルコーナーを作ってお線香をあげて供養しました。
実は息子に戒名をつけるかどうかで住職である父とは意見が割れました。仏教的には仏弟子になったことを意味する戒名をつけるのが本当でしょうが、妻の意向を踏まえて結局はつけませんでした。私たちが「必要だ」と思えばその時につけようということにして、既につけていた名前で呼びかけています。
自分で体験して分かったのですが、初期の流産以外では多くの家族がおなかの中の子どもに名前をつけているんです。寺では水子供養もしていましたが、体験するまでは供養にいらっしゃる人たちが子どもに名づけをしているなんて思ってもいませんでした。
いまは、まず「考えていたお名前はありますか?」とうかがうようにしています。戸籍には載らない名前ですが、ちゃんと自分たちの子どもとして認識していたんだという思いが、その名には込められていますので。
――カフェではお坊さんとしての役割があるのでしょうか?
◆基本はファシリテーターにお任せして、パートナーとしての気持ちなど話題を振られた時にお話しします。仏教用語で説法するようなことはしません。宗教者ですから、例えば「あの子はいまどこにいるのでしょう」などと質問されることがあります。そんなときは「どう思いますか?」と逆に投げ掛けながら、私はこう思いますということで、「うちの子はトンボになったり、鳥になったりして遊びに来てくれます」などとお話しします。すると、「あ、うちも鳥になって来てくれた」とか。
多くの方が「どうしてうちの子が」と尋ねます。…
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星野哲
ライター/立教大学社会デザイン研究所研究員
ほしの・さとし 1962年生まれ。元朝日新聞記者。30年ほど前、墓や葬儀の変化に関心を持って以降、終活関連全般、特にライフエンディングについて取材、研究を続けている。2016年に独立。立教大学大学院、東京墨田看護専門学校で教えるほか、各地で講演活動も続ける。「つながり」について考えるウエブサイト「集活ラボ」の企画・運営も手がける。著書に「寺、再起動:ゾンビ寺からの脱出!」(法蔵館)、「人生を輝かせるお金の使い方 遺贈寄付という選択」(日本法令)、「『定年後』はお寺が居場所」(同、集英社新書)「終活難民-あなたは誰に送ってもらえますか」(2014年、平凡社新書)ほか。
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