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11/15(月) 7:11配信
Photography:Charlie Magee
この記事は「2台のレアなトライアンフ“イタリア”の違いは?|アングロ ”イタリアン”・ハイブリッド【前編】」の続きです。 【写真】イタリアのカーデザイナーが心血を注いだ美しいデザイン ●出鼻をくじかれた市場デビュー だが、この車のチャンスはスタートラインの遥か手前で妨げられた。スタンダード・トライアンフ社が、1961年にレイランドモーター社に吸収されてしまったからであった。このような場合、それ以前に交わされた約束や契約が、疎かにされることは当時ではめずらしいことではなかった。ルフィーノは、ローリングシャシーの供給とサポートに関する本契約がキャンセルされたことよりも、もうひとつのミケロッティデザインである、新型TR4との競合の方を恐れた。1961年7月に発表された TR4の、TR3に比べてはるかにモダナイズされたフラッシュサイド・ボディには、イタリア 2000のデザインアイデアが各所に見られ、また価格もとてもコンペティティブであった。加えてコベントリーから到着するローリングシャシーが、合意した仕様に合致しないことでルフィーノが法的措置をとっている間に、レイランドモーター社がトライアンフ 2000の名称使用に異議を唱えた。 トライアンフ・イタリア 2000は、1960年にニューヨークで米国での発表がおこなわれ、販売はマサチューセッツ州のボルボ・ディーラーであったスタッツ・プレステッドと、一部はロスアンジェルスのインターナショナルモーターズがおこなった。だが、ボディ関連のスペアの供給がない状況であり、オーナーたちは損害賠償の免責へのサインを要求されたことで、販売は少量にとどまった。はっきりした記録はないが、生産は1961年の終わり、または1962年中頃に終了した。30台ほどはTR3Aベースで、その半年後にTR3B シャシーで組み立てられた。うち6台だけがRHD仕様であった。ルフィーノは、1962年に生産を終了したが、車は1964年まで販売されたと言われている。一説によれば、憤慨したルフィーノはオリジナルのイタリア 2000のドローイングと、製造に関するすべての書類を廃棄してしまったようだ。 ●ロンドンへの道 白い車のオーナー、リンカーン・スモールが、いま所有しているトライアンフ 2000に出会ったのは2012年のことだった。 「それはモンテカルロの人が所有していたが、車はミラノにあった。私にとって、トライアンフ・イタリア 2000は気取りのない美しい花嫁で、その点が私を魅了した。ジャンクとしてeBayに出品されていて、早速入札したが価格は競り上がっていった。出品者の電話番号を見つけることができたので連絡をとったら、競っていたのはもうひとりだけだった。指値をくれるよう伝え、送られた300枚ほどの写真を見てから購入を決めた。前所有者はアリタリア航空のパイロットで、地下ガレージに停めたまま30年間忘れられていたらしい。車はジェノバの近くのオヴァーダでクラシック・マニア・ガレージという工場を経営している、友人のマルコ・ガンディーノに届けられた。手に入れた時はひどい状態だったが95%のパーツは揃っていたし、英国のオーナーズクラブの" TR レジスター"は大きな助けになった。次席の入札者がト ライアンフ・イタリア 2000 レジスターのメンバーだったこともわかった」 「この車をただ眺めているのが好きだ。そこには、やはりミケロッティとヴィニャーレのチームの作であったマセラティ 3500GTなどからのヒントが見える。リアフェンダーとトランクリッド上のスクリプトバッジは素晴らしく、芸術品といえる。定評あるトルキーなエンジンは4気筒のアルファやランチアのようによく回る。どんどん引っ張ってくれるところが素晴らしくて気に入っている」 一方ヒストリックカーレースの経験豊かなマーク・ゴードンも同様に、この車についてはスモールに出会うまで彼のアンテナには引っかからなかったと言う。「トライアンフ・イタリア 2000とは何なのかさえ知らなかったんだ」彼は言って自笑する。「私にとっての始まりはリンカーンがEタイプを買ったこと。私はEタイプクラブのロンドン地区の代表だったのでそれを通じて知り合い、彼は私を招いて素晴らしいコレクションを見せてくれた。数台のフェラーリと数台のアルファロメオに混じってイタリア 2000があった。私はたちまち魅了されイタリア・レジスター・クラブに連絡したところ、ちょうど素晴らしい状態の1台がもうすぐ売りに出されるとのことだった。そのシルバーの車はTRの世界ではトニー・ランソンの車として有名だったが、残念なことにランソンは これを楽しむ前に癌との戦いに敗れてしまった」 「現在のオーナーを探しあて電話したら、すでに販売告知用の写真を撮ったと言うんだ。値段を尋ね、商談成立したが、ちょっとナーバスになったことは確かだ。なぜなら車を不見転で買ったことは一度もなかったから。だが2016年の5月に車が到着した時心配は杞憂に終わった。リンカーンと同様私もそのボディラインにやられたが、たくさんの個別のパーツもいちいち素晴らしかった。アートは主観かもしれないが、これはアートのひとつだと私は確信する。イエローのスポットライトがいい。ブラックの結晶塗装のダッシュボードが好きだ。それぞれのディテールを何時間でも見ていられる。私のは、ナルディのステアリング、ウェバーのキャブ、オーバードライブなどたくさんの当時オリジナルのオプションも装備されていて、これらのすべてが違いをもたらす」 「リンカーンの車とは異なり、私のはラック・アンド・ピニオンにコンバートされておらず、ウォーム&ローラーのステアリングボックスが残っている。ステアリングフィールはちょっと曖昧かもしれないが、雪道でもない限り正直なところあまり違いを感じない。イタリア 2000を転がすのに言い訳はいらない。これが好きなのだ」 これらのコメントは十分理解できるしそのとおりだと思う。なぜならこのほとんどイタリア製のブリティッシュスポーツカーの傑作は、単に好奇心をそそる骨董品以上のものだからだ。無骨なランニングギアとエレガントな美は簡単にフィックスできる。このような車の多くは実際よりコンセプトの方が勝るものだが、トライアンフ・イタリア 2000の場合は例外である。トライアンフ・イタリア 2000が、広く観衆を喜ばすことができなかったことを本当に残念に思う。 編集翻訳:小石原耕作 (Ursus Page Makers) Transcreation: Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers) Words:Richard Heseltine Photography:Charlie Magee
Octane Japan 編集部
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